辻仁也さんは、中山美穂さんの元夫になります。お二人は2002年に結婚し、2014年に離婚されました。
この記事ではお二人の馴れ初めや出会い、子供についてご紹介していきます。
辻仁也のプロフィール
生年月日 | 1959年10月4日生まれ |
出身地 | 東京都日野市出身(旧南多摩郡日野町) |
経歴 | 1985年 ロックバンド「ECHOES」のボーカルとしてデビュー 1997年 『海峡の光』で第116階芥川賞を受賞 |
ミュージシャンとしての経歴はもちろんのこと、芥川賞など数々の賞を受賞し作家としてもご活躍されてます。
『サヨナライツカ』は累計発行部数100万部の大ヒットとなり、中山美穂さん主演で映画化されました。
お二人の出会いについて
一方的な出会い
2001年7月、辻仁也さんが中山美穂さんを、パリのシャルル・ドゴール空港での偶然見かけたことでした。当時、辻仁也さんは
たまたま居合わせた中山を、辻が見かけ「わずか数秒の一方的な出会いであったが、その佇まいや雰囲気にしっかりとした意志と力強い存在感が表れていた」などと結婚時に振り返っていた。
引用元:https://www.sponichi.co.jp
と語っています。
雑誌対談の場で再開
2001年10月に雑誌対談の場で再開しました。その場での辻さんの「やっと会えたね」という言葉は有名ですね。
なかなかにキザな言葉です(笑)
この対談は辻さんが熱望し実現したそうです。この対談で意気投合し、交際へと発展していきます。
中山美穂さんは対談中に「もしかしてこの人がパートナーなのでは」と思ったとのちに語っています。
まさしく運命の出会いだったのでしょう。
2002年6月に結婚
交際から急速に二人の距離は縮まっていき、翌年に結婚を発表しました。出会ってから約8か月のスピード婚です。
周囲は反対
この結婚について周囲の人たちは反対していました。中山美穂さんが人気絶頂だったこと、辻さんに離婚歴(2回)があったことが原因です。
ただ中山美穂さん本人はとても幸せだったそうで、「私は宝物を見つけました」とのちに語っていました。
人気絶頂期の女優を見事に手にした辻さんはすごいです。
拠点をパリに移す
結婚後、2003年に二人はフランスのパリンに拠点を移します。
パリへの移住は中山美穂さんの意向で「芸能人の子供と見られない環境で長男を育てたかった。」そうです。辻さんも「家庭の中に女優の中山美穂を持ち込むのは良くない。」と思っていたそうで、お二人の意見が一致しての移住となりました。
中山美穂さんはパリに移住後、芸能活動を休止します。
2004年にご長男を出産
パリに移住後、長男を授かります。十斗(じゅうと)と名付けられました。フランスでの出産だったため、現地での発音も考慮して名付けられたそうです。
2014年に離婚
中山美穂さんと辻仁也さんの結婚生活は12年で幕を閉じることになります。息子さんの親権は辻さんが持つという条件での離婚となりました。現在、辻仁也さんと息子の十斗さんはパリでの生活を送られています。
南果歩さんとの離婚のときに親権をとらなかったことを後悔していたそうです。
離婚については、中山美穂さんの病気の悪化や、不倫、辻さんの中性化などが原因ともされています。
中山美穂の不倫相手
音楽家の渋谷慶一郎さんとされています。
中山美穂さんが子宮筋腫と戦っていたころに渋谷さんが治療方法やさまざまなサポートをしてくれていました。
また辻さんとの離婚後すぐに渋谷さんとの交際もスタートしています。
2015年には破局したと言われています。渋谷さんが多忙でさみしかったそうです。
息子・十斗さんとの関係性は?
親権を辻さんに譲ったのはそれが離婚の条件だからでした。また息子さん本人も父親である辻さんとの生活を望んだとも言われています。
中山美穂さんが息子さんに会えるのは「父親の判断しだい」になっていました。息子さんに会えないことも多く、
「息子に色々買ってきたんだけど最近は直接渡せず。仕方ないね。お父さんとなかよくね。」
引用元:ASA-JO
と言っています。十斗さんは母親の不倫を知っているそうで、その事で十斗さん本人が母親と会うことを拒否しているとも言われています。
当時10歳の十斗さんですが、母親の不倫、両親の離婚はショッキングな出来事だったに違いありません。
まとめ
いかがでしたでしょうか?今回は中山美穂さんと辻仁也さんの出会い、離婚、子供についてまとめてみました。
中山美穂さんの事故はとても残念です。改めてご冥福をお祈りいたします。
最後まで読んでいただありがとうございました。
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